東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1265号 判決 1982年12月23日
控訴人 一場保一 ほか一名
被控訴人 国
代理人 梅村裕司 木下秀雄 ほか三名
主文
一 原判決を次の括弧内のとおり変更する。
「1 被控訴人は控訴人らに対し各金九二四万九〇二二円及びこれに対する昭和五一年一月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人らのその余の請求を棄却する。」
二 訴訟費用は、第一、二審を通じて八分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人の各負担とする。
事実
一 控訴人ら訴訟代理人は「1 原判決を取消す。2 被控訴人は控訴人らに対し、各金一〇七四万九〇二二円及びこれに対する昭和四六年八月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人指定代理人は、控訴棄却の判決並びに被控訴人敗訴の場合、担保を立てることを条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、その記載を引用する。
1 原判決四枚目裏七行目「本件事故発生当時、」の次に「本件駐とん地には自衛隊の各種部隊が駐とんし、各種学校が併設されて総勢約三〇〇〇人の自衛官が常駐し、そのうち幹部自衛官は約四〇〇人であつた。そして当時」を加える。
2 同五枚目表一、二行目「本件駐とん地内の販売店では、自衛隊々員以外の者でも、」を「自衛隊員のみならず部外者も、本件駐とん地内の販売店や出入り業者から自由に」と改め、四行目「ができたし、」の次に「そのころ」を加え、六行目「本件事故」から一〇行目「当時の情況」までを「過激な新左翼集団は、昭和四三年ころから武力闘争を呼号して世情を騒然とさせ、昭和四四年初めころから反軍闘争を掲げて、自衛隊及び米軍などの諸施設に侵入し、或いは火炎ビン、爆発物をもつて襲撃を繰返すようになつた。その主要な事実としては、複数の過激派活動家が、昭和四三年三月二八日米軍王子病院に、同年九月二二日立川基地に、同年一〇月二〇日防衛庁(東京都港区六本木)に、昭和四四年九月二三日陸上自衛隊大久保駐とん地にそれぞれ侵入し、同年一〇月一九日陸上自衛隊市ヶ谷駐とん地(東京都新宿区)を火炎ビンで襲撃し、同年一一月八日陸上自衛隊日本原駐とん地(岡山県)に侵入し、同日夜陸上自衛隊駐とん地赤羽地区を火炎ビンで襲撃し、同月一一日未明、一三日の夜の二回陸上自衛隊武器補給処十条支処(東京都北区王子)を新型爆弾と火炎ビンで襲撃し、昭和四五年六月一七日陸上自衛隊善通寺駐とん地に侵入し、同月一八日陸上自衛隊都城駐とん地を火炎ビンで襲撃し、昭和四六年二月一七日未明栃木県真岡市内の塚田銃砲店を襲撃して散弾銃など一一丁及び実弾約五〇〇発を強奪し、同年六月一七日東京都渋谷区内の明治公園から千代田区内の日比谷公園までデモ行進する過激派デモ隊の警備に当つていた警視庁機動隊に手製爆弾を投げつけて、警察官多数に重軽傷を負わせるなど、枚挙に暇のないほど多数の不穏な事件が頻発していた社会状勢」と改める。
3 同五枚目裏一行目「その侵入方」から三行目「着用し」までを「自衛隊内の販売店や出入り業者から購入し、容易に入手できる自衛隊の制服、制帽、階級章を身に着けて変装し」と改め、五、六行目「これを防止するため」を「右社会状勢に即応して右不法侵入を防止するため」と改める。
4 同六枚目表七行目「とされている。」の次に「本件車両には、後記のとおり本件駐とん地内の車両使用許可証または車友会発行のステツカーが表示されていなかつたのであるから、すべからく警衛司令は、この点に留意してその事実を認識し、本件車両に不審を抱いて本件車両の内部及びトランクなどを点検すべきであつた。しかるに、警衛司令は、本件車両の点検をすることなく営門を通過させた結果、幹部自衛官及びその随従者に変装した新井及び島田を本件駐とん地内に易々と不法侵入させ、動哨勤務中の一場士長を襲撃させて死亡するに至らしめた。若し」を加える。
5 同六枚目裏一〇行目「交付を受け、」の次に、使用許可証または車友会発行のステツカーを、」を加える。
6 同九枚目裏五行目「各自、」を削り「右損害金」を「各右損害金」と改める。
7 証拠 <略>
理由
一 次の事実は当事者間に争いがない。
(一) 訴外亡一場哲雄陸士長(以下「一場士長」という。)は、高校卒業後、昭和四四年三月二七日、陸上自衛隊に入隊し、同年一〇月二三日から東京都練馬区大泉学園町陸上自衛隊朝霞駐とん地(以下「本件駐とん地」という。)内の陸上自衛隊東部方面第一武器隊第三一一装輪車野整備隊に所属し、装輪車整備手の職務に従事していた。
(二) 一場士長は、昭和四六年八月二一日、東部方面武器隊日々命令(昭和四六年七月二六日付東方武器日命第二三号)に基づき、警衛司令渡辺道男二等陸曹(以下、「渡辺二曹」という。)の指揮する本件駐とん地警衛勤務を命ぜられた。
(三) 訴外新井光史、同島田昌紀の両名は、訴外菊井良治らの過激な武力革命思想に共鳴し、昭和四六年八月一五日頃から、本件駐とん地に侵入して銃器などを奪取する計画について謀議を重ね、同月二一日午後、右武器奪取計画の実行につき各自の役割、方法などを確認し合つたのち、島田の運転する普通乗用自動車(以下、「本件車両」という。)に新井が同乗し、途中、ナンバープレートを取換え、さらに、新井は二等陸尉の階級章をつけた制服上下及び幹部の制帽を着用し、島田は一等陸士の制服上下、略帽を着用して、それぞれ自衛官に変装し、同日午後八時三〇分頃、本件駐とん地正門から本件車両に乗車したまま陸上自衛隊の幹部とその随従員を装つて同駐とん地に侵入した。
(四) 当時、本件駐とん地正門の監視に当たつていた訴外伊藤崇史三等陸曹らは、新井及び島田を、その着用していた制服と階級章によつて幹部自衛官とその随従者と誤認した結果、右両名は、何ら咎められることなく正門を通り抜け、本件駐とん地に侵入したものである。
(五) 新井及び島田は、本件駐とん地内売店(PX)南側広場に本件車両を停車させ、午後八時四五分頃、徒歩で、本件駐とん地内輸送学校整備班建物(七三四号)付近路上に至り、折から正門より駐とん地東北角を経て東門に至る動哨経路を外柵沿いに巡察中であつた一場士長と遭遇し、挙手の礼をした一場士長に対し、新井はいきなり手拳で一場士長のみぞおちを殴打し、島田が所携の包丁で一場士長の右側胸腹部を二回突き刺し、まもなく、同所付近において、右刺創による胸腔内出血等により同士長を死亡させた(「本件事故」という。)。
(六) 本件事故当時、本件駐とん地内には、東部方面武器隊のほか各種部隊、教育隊が駐とんし、輸送学校、体育学校なども併設され、総勢約三〇〇〇名の自衛官が常駐し、その中には、幹部自衛官が約四五〇名程度いた。
(七) 本件事故当時、自衛隊員ばかりでなく部外者も、本件駐とん地内の販売店(PX)や出入業者から身分証明書などの提示を要することなく陸上自衛隊の制服、制帽等を自由に購入することができた。なお、本件事故発生前、本件駐とん地内において、自衛隊員の制服上下及び幹部自衛官の制帽が盗まれたことがあつた。しかるに、当時本件駐とん地の営門の警衛勤務者は、制服、階級章によつて幹部であることを確認すれば、その随従者を含め、身分証明書の提示を要求せずにそのまま営門を出入させる取扱いをしていたのであり、このことは本件駐とん地に勤務したことがある者は知つていた。
(八) 新井光史及び島田昌紀は、陸上自衛隊の制服、制帽、階級章を着用しレンタカーに乗車して営門から本件駐とん地に侵入したのであるが、その際、右レンタカーに本件駐とん地の部隊等の長の発行する駐とん地内使用許可証若しくは車友会発行のステツカーを掲示していなかつた。しかるに、本件事故当時の本件駐とん地正門警衛勤務者は右不掲示の事実を認めたが、新井及び島田の階級章を見て幹部自衛官及びその随従者と誤信し、右両名に身分証明書の提示を求めず、右レンタカー及びその搬入物品の点検をせず、また、右レンタカーの車両番号など所要事項を車両出入記録簿に記録することもしなかつた。
二 <証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 駐とん地司令は、上司の指揮監督のもとに駐とん地の警備、隊員の規律の統一等に関する職務権限を有し(駐とん地司令及び駐とん地業務隊等に関する訓令五条)、陸上自衛隊服務規則及び同細則に定めるもののほか、警衛勤務要領の細部を定めることができ(陸上自衛隊服務細則一四一条二項)、駐とん地警衛の最高責任者である。また、駐とん地の警衛勤務者(警衛司令、分哨長、営舎係、歩哨係、歩哨等)は、駐とん地司令によつて所属隊員から命ぜられ(陸上自衛隊服務規則五五条)、主として駐とん地の警戒及び営門出入者の監視に任じ、あわせて営内における規律の維持、秘密保全、火災予防及び災害防止にあたり(同規則五四条)、警衛司令(通常二等陸曹)は、駐とん地司令又は駐とん地当直司令の命令を受けて警衛勤務者を指揮する(同規則五一条、五五条、六〇条)。本件事故当時、陸上自衛隊服務規則六二条二項は、「警衛勤務者は、前項各号に掲げる者及び次の各号に掲げる者のほか営門を出入させてはならない。(1)(略)、(2)幹部及び准陸尉(私服の場合は身分証明書を所持するもの)並びにそれらの随従者(3)ないし(12)(略)」と規定し、同条三項は、「営門を出入する車両及び隊員に対して特別の必要があるときは、積載又は所持している物品等について点検を行なうことができる。」と規定し、同条四項は「本条に定めるもののほか、表門、その他の営門の出入について必要な事項は、駐とん地司令が定める。」と規定し、同規則六三条は、「警衛勤務者は、不法に営内に立ち入る者がある場合においては、これを退去させなければならない。」と規定していた。そして、陸上自衛隊服務細則一三四条九号は、警衛司令の日常の業務の一つとして「営門を出入する車両は、駐とん地司令の定めるところにより点検を行なうとともに第四三条第二号に定める記録簿に自衛隊車両以外の車両も含めて所要の記録を行なう。この際、車両により物品を搬出入するものについては、前第六号及び第七号により処置する。」と規定し、朝霞駐とん地司令は朝霞駐とん地私有車両管理規則を定めていたが、同規則三条は、「私有車両を保有した場合は部隊等の長に届け出るものとする。ただし、営内居住隊員にあつては、保有に先だち部隊等の長の許可を受けるものとする。」旨規定し、同規則四条一項は、「通勤又は通学等のため、駐とん地内において私有車両を使用しようとする者は、部隊等の長に届け出て許可をうけなければならない。」旨、三項は「部隊等の長は使用を許可した者には駐とん地内使用許可証を交付するものとする。」旨規定し、同規則八条四項は「私有車両の使用に際しては、隊内交通規整を遵守するとともに駐とん地内使用許可証を携行しなければならない。」旨規定し、同規則九条一項は「部隊等の長は、私有車両を保有した者に対し、車友会に加入するよう指導するものとする。」旨規定していた。そして、本件駐とん地においては、右規則による車友会が設けられ、右車友会は、これに加入した者に対し、加入した者の車両を他の車両と区別するためにステツカーを発行していた。
本件事故当時、本件駐とん地司令近藤又一郎は、車両、物品の点検について別段の定めをしていなかつたが(なお、駐とん地司令が別段の定めをしていなかつたからといつて、如何なる場合にも点検をする必要がないあるいはすべきでないということにはならないことは明らかである。)、営門出入車両の記録については、陸上自衛隊服務細則一三四条一項九号、四三条二号を受けて朝霞駐とん地警衛勤務規則に記録要領の細則を定め、営門出入車両の検問所に部内及び部外の各車両出入記録簿を備え付け、車両の出入時刻、車両番号等を記録すべきものとしていた。
(二) 本件駐とん地の警衛勤務者は、当時本件駐とん地の警衛勤務要領を指導していた第一施設団本部第三科の警衛指導担当官であつた長谷川昇二等陸尉の指導により営門を出入する隊員の私有車両が駐とん地内使用許可証または車友会発行のステツカーを車両に掲示している場合には当該車両については検問所備付けの部外車両出入記録簿に記録をしない取扱いをし、右いずれの掲示もしていない制服の自衛官(面識のない幹部自衛官を含む。)の乗車する車両については、当該自衛官に身分証明書の提示を求め、部外車両出入記録簿に車両出入時刻、車両番号等を記録する取扱いをしていた。
(三) 本件事故発生当時、本件駐とん地警衛司令渡辺道男二等陸曹は、警衛勤務者総勢二五名をもつて、昭和四六年八月二一日午前八時三〇分から二二日午前八時三〇分まで二四時間勤務で本件駐とん地の営門出入者の監視、駐とん地内所定の各場所の歩哨等警衛の任にあたつていた。
本件事故当時、本件駐とん地の営門警衛勤務者は制服、制帽及び階級章を着用した徒歩の幹部自衛官に対しては、その随従者を含め身分証明書の提示を求めることなく営門の出入を認めていたのであり、この事実は、本件駐とん地の自衛隊員であつた者はよく知つており、そうでなかつた者でも、営門附近で警衛勤務者の営門出入者に対する取扱状況を観察すれば容易に知ることができた。
(四) ところで、過激な新左翼集団は、昭和四三年ごろから武力闘争を呼号し、さらに昭和四四年初めころから反軍闘争を掲げて自衛隊及び米軍などの諸施設に侵入を繰返し、或いは武器獲得を狙つて火炎ビン、爆発物を使用して襲撃するなどの行為を反復し、その具体的な事例としては、控訴人主張のような自衛隊駐とん地、武器補給処などに対する侵入ないし襲撃があり、また、昭和四六年二月一七日未明には、過激派活動家三名が栃木県真岡市内の塚田銃砲店を襲撃して散弾銃など一一丁及び実弾約五〇〇発を強奪し、さらに、同年六月一七日夜過激派デモ隊が東京都渋谷区内の明治公園から千代田区内の日比谷公園までデモ行進する際、警備中の警視庁機動隊に手製爆弾を投げつけて警察官多数に重軽傷を負わせたことがあつた。
(五) 本件駐とん地司令は、本件事故前自衛隊上層部から、過激派活動家の侵入ないし襲撃に備え、警備を厳重にするよう示達を受けていたのであるが、右厳重な警備を要する情勢下にありながら、本件駐とん地に対し陸上自衛隊幹部の制服、制帽、階級章着用による不法侵入のありうることに想到せず、かかる事態に備え営門出入に際し制服の幹部自衛官に対しても原則として身分証明書の提示を求めるようにし、また、陸上自衛隊服務規則及び同細則を受けて本件駐とん地司令が定める朝霞駐とん地警衛勤務規則に、陸上自衛隊服務細則一三四条一項七号及び九号の営門出入者の所持する私物品、出入車両及び搬出入物品の点検につき警衛勤務要領の細則を定めてこれを実施する等の警備態勢を命ずることなく、平穏な状態を前提とした従来の警備方法を踏襲して、本件駐とん地の営門の出入を管理していた。そのため、本件事故当時、本件駐とん地における営門の警衛勤務者は、徒歩の営門出入者について、その着用する制服、制帽、階級章により、外観上幹部自衛官と認めた場合、その随従者を含めて身分証明書の提示を求めずに営門を通行させ(この点当事者間に争いがない。なお、陸上自衛隊服務規則六二条二項二号は営門の出入をさせることができる者の一つとして「幹部及び准陸尉(私服の場合は身分証明書を所持する者)並びにそれらの随従者」を挙げているが、情勢不穏の際制服着用の幹部に身分証明書を提示させることを禁止する趣旨とは解せられない。)、また、車両、物品の点検は原則として実施していなかつた(ただし、本件事故当時においても、陸上自衛隊服務規則六二条三項による点検をすべきものであつた。)。
(六) 新井光史は、約五か月前まで本件駐とん地に一等陸士として勤務し除隊した経歴の持主で、本件駐とん地における営門の警衛勤務における右取扱いを熟知していた者であり、右取扱いに便乗して幹部自衛官をよそおい本件駐とん地内に不法侵入し武器、弾薬等を奪取しようと企て、本件駐とん地内の売店から購入するか又は窃取する等して調達した二等陸尉の階級章、制服、制帽を着用し、また、島田昌紀は同様な方法で調達した一等陸士の制服、略帽を着用し、新井の随従者をよそおい、レンタカーに赤衛軍と表示するヘルメツト二個、赤衛軍のビラ多数及び柳刃包丁一丁を隠し入れたバツグ、奪取した武器を隠匿するための人形などを積み込み、かつ、右レンタカー前部のナンバープレートを既に用意していた別のナンバープレートと取替え、前後のナンバープレートが異なるためその発覚をおそれ、後部のプレートを折曲げて見えにくくするなどの隠蔽工作をした上、島田において右レンタカーを操縦して本件駐とん地の正門に乗り着けた。
(七) 本件駐とん地正門警衛勤務者は、新井、島田の両名が乗つけた右レンタカーには、駐とん地内使用許可証の掲示も車友会発行のステツカーの掲示もされていなかつたにも拘らず、その入門に際し新井らに身分証明書の提示を求めず、かつ、車両の点検、部外車両出入記録簿に車両出入時刻、車両番号等の記録をすることをしなかつた(この点当事者間に争いがない。)。
かくして、新井らは正門から易々と本件駐とん地内に侵入し、動哨として勤務中の一場士長に対し前記犯行に及んだ。その後急拠レンタカーに乗り出門、逃走したのであるが、出門の際島田は一場士長の血が付着した制服を脱ぎ下着姿でレンタカーを急速運転したにも拘らず、本件警衛勤務者はこれを見逃した。
(八) 本件駐とん地司令は、本件事故が発生したのち、急いで本件駐とん地の警備を強化し、警衛勤務者に対し、営門出入者が制服、制帽及び階級章によつて幹部自衛官と目される者に対しても、原則として身分証明書の提示を求める取扱いをさせ、朝霞駐とん地私有車両管理規則を改正して、隊員等の私有車両が営門を出入りする場合、車両の前面の見易い位置に、駐とん地内使用許可証または車友会発行のステツカーを掲示するよう義務付け、これに呼応して右警衛勤務規則にも、隊員等の私有車両に車友会発行のステツカーの掲示がない場合、当該車両については、入門手続及び入門許可証の交付を受けさせる旨の定めを付加してこれを実施している。
以上の事実を認めることができ、当審証人高見博則、同近藤又一郎の各証言中右認定に反する部分は、前顕その余の証拠に照してにわかに採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三 ところで、駐とん地司令及び警衛司令は、当該駐とん地内の自衛隊員(動哨勤務中の者を含む。)の生命、身体を危険から保護すべき国の安全配慮義務の履行補助者であると解されるところ、右事実によれば、本件駐とん地司令は、過激派活動家の活動状況、とくに自衛隊駐とん地への度々の侵入、自衛隊の制服、階級章等が入手容易であつたこと、本件駐とん地において徒歩の幹部自衛官及びその随従者は制服を着ている限りは身分証明書の呈示を要しなかつたこと等の事実から、過激派活動家の本件駐とん地に対する幹部自衛官の制服着用による不法侵入を予想し(被控訴人指定代理人は、かかる侵入方法を予想するのは不可能であつた旨主張するが、前記事実関係からすれば、当時右予想をするのは可能であつたのであり、戦術の専門家である駐とん地司令としては予想すべきであつたものと認める。)、数百名の多きに達する幹部自衛官を擁していた本件駐とん地の状況に鑑み、営門の警衛勤務者に対して、直属の上司等面識のある幹部自衛官以外の者については、幹部自衛官の階級章を付け制服、制帽を着用して外観上幹部自衛官と見える者に対しても、営門を出入りする際、原則として身分証明書の提示を求めて身分の確認を徹底させるようにし、また、陸上自衛隊服務細則一三四条一項七号及び九号による営門出入者の所持する私物品、出入車両及び搬出入物品の点検に関し、朝霞駐とん地警衛勤務規則に具体的な警衛勤務要領を定めまたはこれについて適切な指示、命令をし、もつて、自衛隊幹部でない者が自衛隊幹部の制服を着用し幹部をよそおつて営門から不法侵入することがないように営門の出入を管理すべき注意義務があつたにも拘らず、これを怠つたものであり、もし右注意義務を尽しておれば新井らの前記のような方法による侵入を防止しえたものと認められる。
また、およそ駐とん地警衛勤務者は、前記警衛に関する陸上自衛隊服務規則六二条三項等の規定及び指導された警衛方法を順守、活用し、不法侵入者の発見、阻止に努めるべきであり、本件事故当時、本件駐とん地正門警衛勤務者は、営門出入者の取扱いとして、制服、制帽階級章によつて幹部自衛官及びその随従者と認めた場合に、徒歩であるときはそれらの者に身分証明書の提示を求めて身分確認を行うことまで要求されていなかつたとしても、新井及び島田の同乗してきたレンタカーが本件駐とん地各部隊等所属以外の部外車両であり、駐とん地内使用許可証または車友会発行のステツカーを掲示しておらず、また、前後のナンバープレートの番号が違い、後部のプレートが折曲げられている等入門時刻とあいまつて不審の点があつたのであるから、新井らに身分証明書の提示を求めて身分を確認し、かつ、右レンタカーを点検し、陸上自衛隊服務細則一三四条一項九号所定の部外車両出入記録簿へ記入すべき注意義務があつたにも拘らず、これを怠つたものであり、右警衛勤務者は、直近の上司である本件警衛司令の指揮下にあつたものであるから、右警衛勤務者の注意義務の懈怠はその指揮者である本件警衛司令の注意義務の懈怠に基づくものといわなければならない。
そして、本件警衛司令が右注意義務を尽していたならば、新井らが身分証明書を所持せず、しかも右レンタカー前後の車両番号が異なり、その判読を妨害するためナンバープレートを折曲げている事実にも容易に気付き、新井らの挙動とあいまつて右レンタカー及び新井、島田に不審を抱き、必然的に車内及び搬入物品の点検をすることとなり、その結果右両名が過激派活動家であつて自衛官に変装し、本件駐とん地内に侵入しようとしていた事実を突き止めこれを阻止することができたものと認められる。
新井らが本件駐とん地内に侵入することがなければ、本件事故が発生しなかつたことは、明らかである。
従つて、本件駐とん地司令及び本件警衛司令を履行補助者とする被控訴人には、営門出入の管理を適正にし、もつて本件駐とん地内の自衛隊員(動哨勤務中の者を含む。)の生命、身体を危険から保護すべき安全配慮義務につき、債務不履行があつたものといわざるをえない。
もとより、動哨は不法侵入者に対する警備を重要な任務とするのであるから、不法侵入者が営門より侵入しても、また、フエンスを越えて侵入しても、ひとしく誰何して排除すべきであるが、自衛隊幹部の制服を着用して堂々と営門より侵入してきた場合には真偽の見分けが困難であり、動哨がその職責上危険に遭遇せざるをえないからといつて、国の営門出入管理に関する安全配慮義務がなくなるわけではない。本件において、自衛隊の制服及び階級章を着用して自衛隊員になりすまし不法に入門しようとした新井らに対し身分証明書の提示を求め、かつ、同人らが乗車してきたレンタカーを点検し、その車両番号を記録するなどの取扱いをしておれば本件事故は未然に防止することができたものと認められるのであり、本件事故は、本件駐とん地司令が本件駐とん地の警衛方法を策定、命令する上において、また、本件警衛司令が既に定められている警衛方法を実施する上において、前記のような注意義務の違反があつたため誘発されたものと認めるのが相当である。新井らの行為が犯罪を構成することの故をもつて右注意義務違反と本件事故との間の因果関係を否定するのは、相当でない。
そうすると、被控訴人は、その履行補助者である本件駐とん地司令及び本件警衛司令が前記のとおりそれぞれの公務を管理するにつき安全配慮義務を尽さなかつたことにより、本件駐とん地内で動哨として勤務中新井らに殺害された一場士長が被つた損害を賠償すべき責任があるものといわなければならない。
四 一場士長が昭和二五年二月二八日生れであり、本件事故当時満二一歳で、陸上自衛隊から俸給として士長一号俸給(基本給月額三万五〇〇〇円)の支給を受けていたこと、控訴人らは、一場士長の父母であり、国家公務員災害補償法による一時金一七五万八〇〇〇円、同士長の葬祭補償金一〇万五四八〇円及び退職金二〇万一六〇〇円の支払いを受けたことは、当事者間に争いがない。
<証拠略>によれば、一場士長は真面目で勤務成績も良く将来を嘱望されていた有能な隊員であつたのであり、近い将来陸曹候補生受験資格が得られる時期にさしかかつていたこと、同士長自身陸曹に昇進し、将来にわたつて自衛隊員として勤務することを希望していたこと、同士長は、本件事故によつて死亡しなかつたならば、特段の事情がない限り少くとも毎年一号俸昇給し、遅くとも昭和五五年には三等陸曹に、昭和六九年には二等陸曹に昇進し、満五〇歳の停年(昭和七五年二月二七日)に達するまで、二九年間毎年別表第一記載のとおりの各収入が得られ、退職時には退職金七九七万四四五〇円が給付され、かつ、停年後満六七歳に達するまで一七年間は稼働可能であつたから、少くとも労働省統計情報部の昭和四八年賃金構造基本統計調査報告第二表における、従業員数、一〇人から九九人を雇傭する企業の旧中・新高卒男子労働者の平均賃金による、別表第二記載のとおりの各賃金が得られた筈であり、同士長は少なくとも別表第三記載のとおり各年の収入から生活費五割及びライプニツツ式による中間利息を控除した合計金一六三六万三一二四円の得べかりし利益を喪失したこと、一場士長には配偶者と子がいなかつたこと、よつて、控訴人らが右債権を二分の一宛相続したことが認められる。
一場士長は、本件事故当時満二一歳で将来を嘱望された有為な青年であつたことは前記のとおりであり、本件事故のため生命を失ない甚大な精神的苦痛を被つたものというべく、これを慰藉するには、五〇〇万円の賠償をもつてするのが相当であり、控訴人らは右慰藉料債権を二分の一宛相続した。
弁論の全趣旨によれば、控訴人らは一場士長の葬祭費用として少くとも各金一五万円宛支出しているものと認められ、被控訴人はその賠償義務があるものと解すべきである。
以上を合計すると、控訴人らは被控訴人に対し各一〇八三万一五六二円の債権を有することとなる。
他方、控訴人らは、国家公務員災害補償法による一時金一七五万八〇〇〇円、葬祭補償金一〇万五四八〇円、同士長の退職金二〇万一六〇〇円の支払いを受けており(この点当事者間に争いがない。)、さらに、弁論の全趣旨によれば同士長が動哨としての職務を果敢に遂行して死亡した功労に対し、控訴人らは賞じゆつ金三〇〇万円の支払いを受けたものと認められ、これらの金員は、損害の填補として折半のうえ、控訴人らの右各損害金に充当さるべきものであるから、これを控除した控訴人らの残債権は各八二九万九〇二二円となる。
ところで、弁論の全趣旨によれば、控訴人らは控訴人ら訴訟代理人に対し本件訴訟の提起、追行を委任し、その報酬として各九五万円を支払うことを約したことが認められ、本件訴訟追行の難易、認容金額等を考慮すると、右報酬額は相当であり、控訴人らは被控訴人に対し各右金額の賠償を請求しうるものと解すべきであり、前記八二九万九〇二二円にこれを加えると九二四万九〇二二円となる。
そして、右金額を支払うべき被控訴人の債務は期限の定めのない債務であるから、その請求を受けた時から遅滞の責に任ずべきところ、弁論の全趣旨及び本件記録によれば、被控訴人は控訴人らから本訴状の送達をもつてその請求を受けたものであり、本件訴状が被控訴人に送達された日は昭和五一年一月九日であることが認められる。
五 そうすると、被控訴人は控訴人らに対し各九二四万九〇二二円及びこれに対する本訴状送達日の翌日である昭和五一年一月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、控訴人らの本訴請求は右金額の支払を求める限度において理由があるから認容すべく、その余の部分は理由がないから棄却すべく、原判決中これと異なる部分は不当であつて、控訴人らの本件控訴は一部理由がある。よつて、原判決を主文一項括弧内のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を各適用し、仮執行の宣言は相当でないものと認めこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 川添萬夫 高野耕一 相良甲子彦)
別表第一ないし第三 <略>